“ばっけ”とは何か、と花梨に訊いたことで、そもそもしくじったのだ。
 人に食べる姿を見つめられるというのはなんとも居心地悪く、もともと小食の和仁の膳には、白粥と吸い物、山菜の煮物、漬物が少しずつ載っている程度で、花梨にそのことを咎められるのではないかと内心どぎまぎしていたのだが、考えてみれば花梨自身もかなり小食の方であると以前聞いたことがあるのを思い出して、とりあえず残さず全て食べることに専念した。
 最後の一口を飲み込んだところで、花梨が急に、庭の方を眺めながら「ばっけ味噌が食べたい」と呟いた。ばっけという言葉が初耳で、それは一体何かを問うと、ふきのとうの別名であると彼女は説明してくれた。

「地方によって呼び方が違うみたいです。私の母が田舎料理を作るのにはまっていたとき、ばっけ味噌を食べさせてもらって、すごく気に入ったのを思い出しました」

 どこか憂いのある微笑みを浮かべながら言う花梨の話の中に、彼女の身内が出てきたことに引っかかったが、今はそこは詮索せず、ふきのとうなら我々もよく食べると言うと、花梨は驚いたのか目を丸くした。

「本当? この時代には、もうあるんですね」
「時代?」
「あ、いえ。和仁さんたちは、ふきのとうをどういうふうにして食べるんですか?」
「私は厨に行かぬから、調理法について意識したことはないが、煮たり、塩に漬けたり、色々あるような気がするな」
「ふきのとう、けっこう苦いですよね」
「私は嫌いではないが」

 最後に杯から水を飲んで口の中を洗い、女房が台盤を下げやすいように部屋の隅に置くと、和仁は花梨のそばへ向かった。室の中に火鉢はあったが思いのほか空気が冷たいことに気付いて、火鉢を運んで近くに置いてやると、花梨は嬉しそうに笑った。

「ありがとう。和仁さんも、近くで暖まって」

 花梨らしい言葉に、和仁もうっすら笑む。以前は罪の意識や神子を汚してはならないという思いで常に落ち着かなかったのに、ここのところ和仁の心は妙に平静だった。すぐ隣にというわけではないが、話すのに違和感のない距離で近くに座ることにも、目を合わせて会話することにも抵抗がなくなってきて、むしろ穏やかで可愛らしい花梨の表情や仕草をずっと見つめていたいと願うのを自分自身が受け入れているような気までしてきていた。己の中から負の感情が少しずつ消えていくことを嫌だと思わなくなっているらしい。花梨というと、和仁が向ける眼差しを優しく受け止め、決しておしゃべりな方ではない和仁が花梨の疑問などに応えるのを思慮深く聞き、華奢な身体を気遣って櫃から出した衣を一枚重ねてやることに対して嬉しそうに礼を言ったりする。二人の間にあるひとつひとつの関わりを、互いが寛容に受け入れることに満足しているようにも思えた。時々、まるで夫婦のようだと思いつくと、和仁はむずがゆさでそわそわするのだが、それよりも双方が同じ想いで向き合おうとしてることに、心震えるような尊さを感じるのだった。
 これは愛だろう、と和仁は思っていた。
 自分の犯した罪が完璧に消え去ることはないし、和仁という人間が傍から見て幸せになるにはまだ時間が必要だろうが、まるで陽光にきらめく水面のような明るい感情を無理やり封じ込める気には、もうならなかった。これだけ優しい感情なら、大事にしたいと思った。彼女を静かに愛したかった。たとえ、いつか別れなければならない日が来たとしても。

「和仁さん、苦いの平気なんだ?」

 ふきのとうをよく食べることについて意外そうにしている花梨に、自分はそんなお子様に映るのだろうかとむっとしつつ、嫌いではないと繰り返した。

「もともと私は山菜を好んで食べるのだ」
「そうなんですね。私も好きです、山菜」
「ばっけ味噌というのは、ふきのとうを混ぜた味噌ということか」
「はい。ふきのとうを炒めて、味噌とか砂糖とかで味付けするんじゃなかったかな、確か」

 白飯に少量載せて食べるという。想像して、砂糖や味噌を使うというのは贅沢だが、甘じょっばさが粥にも合いそうだし、なかなか旨そうだと思う。一方の花梨は、私ではなくお母さんが作ってたから具体的な作り方は分からないけれど……と恐縮そうにしている。

「和仁さんのお食事を見て、なんだか急に食べたくなっちゃいました」
「ふきのとうなら、今がちょうどその時期だろう」
「ふきのとうってどこにあるんでしょうか」

 ふきのとうという植物の存在を知っていながら、どのように育つのか分かっていないのを疑問に思いつつ、

「今は雪の下にあるが、食べられるはずだ」

 教えてやると、花梨が「雪の下でも育つんだ……」と少し考え込む仕草したので、和仁は嫌な予感がした。

「ねえ和仁さん。今度雪が止んだら」
「断る」

 遮ると、花梨はすぐさま半眼で和仁を見た。

「まだ言い終わってないです……」
「言わなくても分かる。なぜお前は私を外に連れ出したがるのだ。この前、喘息の発作が起きたのを忘れたのか」
「今すぐでかけようなんて言ってません」

 ぷうと頬を膨らませている。寒さのせいか、頬が桃色に色づいているのが可愛らしい。彼女のそんな姿を見ていると気が緩んでしまうと自戒し、和仁は目を反らして、わざとらしく溜息をついてみせた。

「素人が探しに行っても、そうそう見つからぬ。雪が積もっていたら雪をかき分けなくてはならないし、手が凍りつくぞ」
「晴れた日の、少し雪が解け始める時期なら、ふきのとうの頭が見えて、よいのではないでしょうか」

 ここで急に口を挟んでくるのが時朝なのだ――
 どこから現れたか分からない、しかし確実に時機をうかがっていた男の気配を背後に感じつつ、毎度の展開に和仁はいいかげん呆れを覚えて、そうですよね!と朗らかに相槌を打っている花梨の横で頭を抱えた。

「時朝……」
「まだ毎日のように雪が降ります。すぐにとは参りませんが、雪が止んだ晴れた日に山菜摘みに行きましょう」

 口調こそ淡白ではあるが喜々とした感情が含まれているのは確かで、もともと時朝は身体を動かすことが好きで女房のために外に出て食べ物を調達してくることもあるし、引きこもりがちな和仁を花梨が外に連れ出すことが何より嬉しいのである。これまでの経緯からして、和仁が花梨に淡い恋慕を抱いていることもお見通しだろう。
 それを余計なお世話だと言うのだ。うんざりしつつも、この二人に抵抗するだけ無駄なことは和仁にもよく分かっていた。

「もう、勝手にしろ……」

 しっしっ、と無礼にも二人に向かって手を払う。二人は顔を見合わせ、いたずらっぽく肩をすくめた。